Biblia Todo Logo
オンライン聖書
- 広告 -




コリント人への第二の手紙 1:12 - Japanese: 聖書 口語訳

12 さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵によってではなく神の恵みによって、神の神聖と真実とによって行動してきたことは、実にわたしたちの誇であって、良心のあかしするところである。

この章を参照 コピー

ALIVEバイブル: 新約聖書

12 私たちは、神のおかげで、今までしてきたことを誠実さと正直さをもってつらぬき通して働くことができた。特にあなたがたのところでしたことはそうだ。 それは自分の知恵ではなく、神に恵まれてできたことだ。 胸を張ってこう言えるから、とてもうれしく思う。

この章を参照 コピー

Colloquial Japanese (1955)

12 さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵によってではなく神の恵みによって、神の神聖と真実とによって行動してきたことは、実にわたしたちの誇であって、良心のあかしするところである。

この章を参照 コピー

リビングバイブル

12 私たちは、どんな場合でも、自分の知恵に頼らず、助けてくださる主に信頼し、きよさと誠実さをもって行動してきました。特にあなたがたに対しては、そのようにふるまってきました。胸を張ってそう言うことができます。

この章を参照 コピー

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

12 わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。このことは、良心も証しするところで、わたしたちの誇りです。

この章を参照 コピー

ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

12 今、自分の良心に誓ってはっきりと言おう。私たちは神からもらった完全な正直さと誠実さをもって、この世界で生きてきた。そして、この事実はあなた達の間では特に際立っている。これはこの世の知恵ではなく神の恵みによって可能だったことであり、それこそが私たちの誇りなのだ。

この章を参照 コピー

聖書 口語訳

12 さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵によってではなく神の恵みによって、神の神聖と真実とによって行動してきたことは、実にわたしたちの誇であって、良心のあかしするところである。

この章を参照 コピー




コリント人への第二の手紙 1:12
40 相互参照  

それは、わたしが主の道を守り、悪を行わず、 わが神から離れたことがないからである。


見よ、彼はわたしを殺すであろう。 わたしは絶望だ。 しかしなおわたしはわたしの道を 彼の前に守り抜こう。


「ああ主よ、願わくは、わたしが真実と真心とをもって、み前に歩み、あなたの目にかなう事を行ったのを覚えてください」。そしてヒゼキヤはひどく泣いた。


パウロは議会を見つめて言った、「兄弟たちよ、わたしは今日まで、神の前に、ひたすら明らかな良心にしたがって行動してきた」。


わたしはまた、神に対しまた人に対して、良心を責められることのないように、常に努めています。


わたしはキリストにあって真実を語る。偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって、わたしにこうあかしをしている。


いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである。


すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、


しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。


この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。


わたしは自ら省みて、なんらやましいことはないが、それで義とされているわけではない。わたしをさばくかたは、主である。


ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。


この計画を立てたのは、軽率なことであったであろうか。それとも、自分の計画を肉の思いによって計画したため、わたしの「しかり、しかり」が同時に「否、否」であったのだろうか。


ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである。


しかし、わたしたちは、多くの人のように神の言を売物にせず、真心をこめて、神につかわされた者として神のみまえで、キリストにあって語るのである。


恥ずべき隠れたことを捨て去り、悪巧みによって歩かず、神の言を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦するのである。


こう言っても、わたしは命令するのではない。ただ、他の人たちの熱情によって、あなたがたの愛の純真さをためそうとするのである。


ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。


すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、


それによって、あなたがたが、何が重要であるかを判別することができ、キリストの日に備えて、純真で責められるところのないものとなり、


あなたがたもあかしし、神もあかしして下さるように、わたしたちはあなたがた信者の前で、信心深く、正しく、責められるところがないように、生活をしたのである。


わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている。


あなた自身を良いわざの模範として示し、人を教える場合には、清廉と謹厳とをもってし、


わたしたちのために、祈ってほしい。わたしたちは明らかな良心を持っていると信じており、何事についても、正しく行動しようと願っている。


しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。


それゆえ、いま、あなたがたは主を恐れ、まことと、まごころと、真実とをもって、主に仕え、あなたがたの先祖が、川の向こう、およびエジプトで仕えた他の神々を除き去って、主に仕えなさい。


しかし、やさしく、慎み深く、明らかな良心をもって、弁明しなさい。そうすれば、あなたがたがキリストにあって営んでいる良い生活をそしる人々も、そのようにののしったことを恥じいるであろう。


この水はバプテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、からだの汚れを除くことではなく、明らかな良心を神に願い求めることである。


私たちに従ってください:

広告


広告